心臓に毛が生えている理由
読んだ本とか見た映画とかうちの子たちの言動とか言動とか言動とか
そういうものにやたらと左右される日々ってのはどうなんじゃろなーと
ふと冷静に思うこともあることはあるのですが。
もしもこの人の本を読まずにいたら、この子たちに堕っこちなかったら
間違いなく今の私は違う私であった、と感じるほどに強く
何かを思うことができるということは、ある意味幸せかもしれません。
「今のわたし」と「もしかしたらいたかもしれない違うわたし」の
どちらが良かったかということはさておき。それは考えたら負けだ!多分!
- 作者: 米原 万里
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2011/04/23
- メディア: 文庫
- クリック: 10回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
ロシア語通訳として活躍しながら考えたこと、
在プラハ・ソビエト学校時代に得たもの、日本人のアイデンティティなど、
言葉や文化に対する深い洞察を痛快な文章で綴る。
ウィット、ユーモア、毒舌―。
読者を笑わせ、裏切り、挑発しつづけた米原万里の、ラスト・エッセイ集。
若かりし日に米原万里さんの本に出会っていなかったら、
ものの見方も、感じ方も、考え方も、全部今とは違ってたんじゃないかと
思います。そのぐらい衝撃だった、はじめての米原万里。*1
『心臓に毛が生えている理由』は早逝された米原万里さんの最後のエッセイ。
下ネタであろうが毒舌であろうが、本当に知的な人が語れば
決して下品になることなどないのだという証明、ここにあり。
言葉を学ぶことはその国の文化を学ぶことに通じるのだ、
と信じさせてくれるエピソードの数々は言葉を学ぶものにとって
とても強い追い風になるものです。ありがたや。
機械でも採点できる日本のテストのあり方への批判は
教育関係者必読かと思います。超共感。
超名著『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』に通じるようなエピソードもあり
ファンとしてはうれしい限り。
もし存命だったとしたら、米原さんは今の日本をどう感じただろうか。
もう二度と米原さんの新しい言葉に触れることができないことがただただ悲しいです。